長州山口 防長っ子
東京在住の山口県出身者がお届けする山口の魅力と日常と論
井上馨
井上馨
1836〜1915 現在の山口市出身
政治家 実業家
従一位大勲位公爵 元老

長州藩周防国の井上家に生まれ
志道家の養子なるも井上家に復籍
藩校・明倫館に入学後は江戸に出て
江川太郎左衛門などに蘭学を学ぶ
江戸遊学中に高杉晋作等と尊皇攘夷運動に参加
1863年には伊藤博文・井上勝・山尾庸三
遠藤謹助等と横浜から渡英
国力の差を感じ攘夷派から開国派へ転ずる
英・仏・蘭・米と長州藩の間で勃発した
馬関戦争の講和では伊藤博文と共に交渉に尽力した
第一次長州征伐の際には武装恭順を主張した為
藩の俗論党に襲われ重態を負う
回復後は高杉晋作等と功山寺で決起し
藩論を開国攘夷に統一する事に成功した

明治維新後は官界に身を置き財政に力を入れたが
尾去沢銅山の汚職事件を追及され辞任
辞任後は実業界に身を置いていたが
伊藤博文の要請で政界に復帰
外務卿・外務大臣・農商務大臣・内務大臣・大蔵大臣を歴任
1886年に不平等条約改正の為鹿鳴館を建設
パリやベルリンに劣らない首都を建設しようと尽力
実業界の発展にも力を尽くし紡績業・鉄道事業などを興した
第4次伊藤内閣の崩壊後に大命降下を受けて
内閣総理大臣に就任する予定になったが
政局の運営に見通しが立たないと判断すると
総理大臣就任を辞退して桂太郎に地位を譲った
1915年に静岡県の別荘にて死去



テーマ:歴史上の人物 - ジャンル:学問・文化・芸術

コメント
この記事へのコメント
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
秘密: 管理者にだけ表示を許可する