
現在の山口県の地域に、王が登場したのは
現在の熊毛郡田布施町です。
この王の古墳は国森古墳といい
弥生時代の地方色を感じさせる形なんだそうです。
熊毛王族は二代に入ると田布施から
柳井に移動したようです。
柳井市には茶臼山古墳が築かれていて
この古墳から採取された単頭双胴怪獣鏡は
国内最大の副葬で、他にも鏡、鉄の武器、ガラス玉
といった、3種の神器なども発掘されています。
また、王を埋葬した棺は、ヤマトの大王と同じ
竪穴式石室が作られていて、熊毛王の権威が伺えます。
三代の熊毛王は女王だったようです。
神花山古墳に埋葬されていた遺骨を調べると
20代の女性である事がわかったそうです。
女王になった経緯などは不明だそうですが
若くして亡くなったのは、慢性的な鉄分不足といわれています。
熊毛王族は4代目に最長期を迎えます。
ヤマトに忠誠し、独自の貿易により勢力を拡大しました。
4代王を埋葬した白鳥古墳が、その権威を表しています。
全長120m、高さ11mで、大王墓と同じ
三段構築を許された瀬戸内海最大の前方後円墳です。
三代熊毛女王の他にも、山口では女王がいたようです。
現在の山口市の円墳、兜山古墳の埋葬者は女性のようです。
また、景行天皇が防府で野営した祭に、地元の軍勢を連れ
はせ参じた女性がいたそうで、秋穂の地を治めた
女王がいた事を、日本書紀で知る事ができるそうです。
瀬戸内海を西に進むと、現在の山陽小野田市に
妙徳寺山古墳があり、埋葬者は女性だそうです。
近年では、山口市から小さな前方後円墳が発見され
新宮山古墳と名付けられました。
この古墳の埋葬者は女性で、王の名に相応しい
副葬品も発見されたんだそうです。
この時代、山口では4人の女王がいた事が分かっています。
六世紀には入ると古墳の造営がピークになります。
山口でも甲山古墳群や大浦古墳群などが発見されています。
元々は王の権力を示した古墳が
民衆によって造営されるようになります。
こういった民衆を取り締まる事によって
古墳時代が終って行ったんだそうです。
なるほど〜。
山口も奥深いものですな。 "王"が君臨した時代、
今の時代からは想像も出来ませんね。 青森にも、
三内丸山遺跡があるのですが、詳しくは全くわから
んので、これから勉強しましゅ。。。
そうですね、あまりに昔で
想像がつかないですよね。
青森の古墳時代も
勉強してみてくださいね(^^)
