
山口では日本海に面した響灘の海岸沿いで
弥生人の人骨や貝塚、装飾品、土器などが発見されています。
当時は蒙古襲来時の、蒙古人の人骨と見られていたようですが
調査の結果渡来人である事がわかりました。
この地域の弥生人は北部九州・山口型弥生人と呼ばれています。
弥生人が持ち込んだ文化は今日の日本に深く根付いています。
縄文人が行っていた狩猟の生活から農耕の生活になりました。
金属器を作り、機を織り、環濠の集落を築いていきます。
また、戦争が日本に登場したのも弥生時代といわれています。
北部九州・山口型の渡来人は、中国大陸から朝鮮半島を経て
海峡を渡り響灘沿岸(北浦)についたと考えられていました。
しかし近年の土井ヶ浜遺跡の調査によると違うようです。
韓国・慶尚南道の礼安里古墳群と、山口の土井ヶ浜遺跡の弥生人
との人骨を比較調査したところ、ルーツは見出せなかったようです。
また靭島などの遺跡調査からもルーツを見出せなかったようです。
弥生時代は戦争が始めて行われた時代ですが
山口では戦乱が少なかったようです。
戦闘用の武器類も、他の地方の弥生遺跡に比べて
ごくわずかなんだそうです。
守りを固める抑止としての機能だと考えられています。
山口で代表する守りの村は、岩国市の清水遺跡です。
環濠を三重にめぐらせた集落の跡が発見されています。
こういった戦争を繰り返し、古代国家形成へと繋がってヤマト政権や
百以上の国に別れる事につながっていきます。
