
皆さんは「都」と聞かれたら、思い浮かべるのは
やはり、京都か奈良ですよね。
実は、山口も都だった時期があるんですよ。
時代は室町時代です。
西国一の守護大名と称された、大内氏が
現在の山口市を都として、繁栄させたのです。
事の始りは、大内弘世が京都を訪れた事に始まりました。
弘世は、京都の街並みや、文化に大きく感動したそうです。
また、自身が本拠にしている山口と京都が
同じ盆地地形である事も幸いして、京都を手本にした
街創りを創めるに至ったそうです。
街創りをする際には、京都から人材を呼び寄せたり
八坂神社や北野天神を勧請したそうです。
この時に、田舎言葉をも正そうとしたという云われもあります。
山口には現在も、近畿地方と共通する言葉が使われます。
「〜なん」「〜のん」「なんぼ」「ほんま」「〜やろ」
もしかすると、大内文化の名残なのかもしれませんね。
大内文化が最も最盛期を迎えたのは、室町時代です。
この最盛には、応仁の乱が関係してるようですね。
この乱で、京都に在住していた文化人などが
山口へ流れて来たようです。
当時の大名・大内政弘は、流れて来た文化人を
大いに歓迎し、居住させ、益々文化色の濃い町にしていきました。
結果、山口は当時日本最大の人口4万人を誇り
工芸・文学・美術などが花開き
西の京都、西京として、当時の世界地図にまで
山口の地名が記されるまでに繁栄しました。

【一の坂川】
大内弘世が、賀茂川をモチーフに創らせた川です。
川沿いには古い家並みが残り、春は桜、夏は蛍と
季節感の漂う散歩道の川です。

【常栄寺雪舟庭】
大内政弘が、母親の別邸を築いた時に
雪舟に造らせたという庭園です。

【大内塗】
大内弘世が、京都の職人を呼び寄せ、完成させた塗漆器です。
天然木、本漆、純金箔を使用していて
主にお盆や人形といった物が造られています。
人形には逸話があり、京都から招いた姫を
寂しがらせない為に造られたとの事です。
明や朝鮮との貿易の際にも、出荷されていたようです。

【瑠璃光寺五重塔】
大内義弘を弔う為に建築されました。
国内有数の五重塔で、国宝です。
日本で10番目に古い塔として数えられています。

【山口サビエル記念聖堂】
1951年、サビエル来山口400年を記念して建築されました。
1991年に、焼失してしまい、現在の記念聖堂が建っています。

【外郎】
大内氏の時代から食べられてる、山口の銘菓です。
600年の歴史があり、現在でも山口のお土産とされています。
山口外郎は、蕨や葛を使って作るので、他県の外郎とは
一味違った触感で、甘さは控えめです。

【サビエル】
スペイン出身の宣教師で、大内義隆の時代に山口へ来たそうです。
ザビエルの来山口によって、山口は日本で初めて西洋楽器による
演奏会が行われたり、クリスマスを迎えました。
サビエルは、宣教活動の際、大内氏に、西洋の珍しい
品々を贈与しました。大内氏はお礼に、金品などを差し出した
そうですが、サビエルは一切受け取らなかったという
逸話も残っています。

【雪舟】
応仁の乱以降、大内氏の比護の下、87歳で他界するまで
山口に住み、水墨画を描いていました。
雪舟庭の他にも、雪舟ゆかりの建造物などが
現在も山口に残っています。
以上、大内文化の一部を紹介させて頂きました。
調べてるうちに、まだまだ大内文化の名残を留めるものが
出てきたのですが、代表的なものに絞りました。
あまり深く紹介できてないのが残念ですが
西の京、山口の大内文化を、少しでも知っていただければ
これ幸いと思います(^0^)
うちの主人は歴史好きで、つきあい始めた頃、
「山口は大内氏だよね?」
と言ったのにはびっくりしました(笑)
大内雛(で合ってる?)がかわいくて、いつか買って
家に飾りたいと思ってます。
瑠璃光寺は本当に美しいですよね〜特に桜の時期は
風光明媚です。
ザビエル記念聖堂!わぁ、モダンな建物になったんですね〜
昔の時にしか行ってないので、こうして写真で見れて
嬉しいです。
こうした歴史に触れられる場所もあれば、湯田温泉街もあったり、
そしてパラボラアンテナもあったり、山口は地味だけど
観るところ沢山ありますよね〜
大内氏を知ってるとは
なかなかマニアなご主人ですね。
大内氏は、源平合戦の時に
源氏に味方してから
勢力を大きくした大名なんですよ。
大内人形は僕も欲しいのですが
なんせ、高いので買えません。
小さい物でも、結構な値段です。
