
1833〜1877 現在の萩市出身
政治家 明治三傑
藩医和田家に生まれる
7歳の時に桂家150石に養子となり武士の身分になる
1849年には藩校明倫館で吉田松陰に師事し兵学を学ぶ
13歳の頃には新陰流内藤作兵衛道場に入門
1852年に江戸へ剣術留学
江戸三大道場である斎藤道場へ入門
神道無念流免許皆伝
入門1年で斎藤道場の塾頭となり
帰藩するまでの5年間塾頭を務め
他藩に剣術指導で招かれるなど剣豪として知られた
1862年頃から藩政府中枢で頭角を現す
禁門の変では因州藩の裏切りで御所潜入に失敗
以降京や出石などに潜伏し活動を続ける
高杉晋作の藩内クーデターの成功を機に
大村益次郎が藩内へ帰るように指示
正義派の統率者として帰藩する
土佐脱藩浪士である
坂本竜馬・中岡慎太郎・土方楠左右衛門の仲介を得て
長州藩の代表として薩摩藩と同盟を結ぶ
第二次長州征伐から倒幕まで長州藩の代表として務める
新政府では岩倉具視に才を買われ総裁局専任顧問を務め
実質的最終決定適任者となる
太政官制度改革後は外国事務掛・参与・参議・文部卿を兼任
政策は五箇条の御誓文・マスコミの発達推進・封建的風習の廃止
版籍奉還・廃藩置県・人材優先主義・四民平等・
憲法制定と三権分立の確立・二院制の確立・教育の充実・
法治主義の確立などを提言し実施していく
軍人の閣僚への登用禁止・民主的地方警察・民主的裁判制度
といった政策も推し進めていた
1877年に勃発した西南戦争では明治天皇と京都へ出張
同年5月には脳発作で他界
2007年は没後130年目にあたる
「22才の別れ」、機会があれば、聴いてみて下さい。
んで、話は変わるけど、
長州藩と土佐藩は、維新前後で色々と関係があったんだよなぁ〜。(高校の時の日本史の授業を思い出した・・。)
また、山口県の事を勉強しに訪問します。
はじめまして。
そうですね、維新前は郷士側
維新前後では上士側と
つながりがありますね。
木戸孝允は、上士側の
板垣退助を大きく買ってたようですよ。
また遊びに来てください(^^)
タウン情報山口6月号に木戸木戸孝允と坂本龍馬の特集記事が載ってますた。
ん?タウン情報東京ってあるんでしょうか?
東京にもタウン誌は色々ありますよ。
タウン情報東京という本は
見たことがないですけど、
駅や店舗などに、無料の地域誌が
置かれてたりしますね。
今年は木戸孝允の没後130年目なんで
山口のタウン誌もとりあげたのかも
しれないですね(^-^)
